見守りという名の監視

私は普段、特別養護老人ホームで働いています。

今日デスクの上を見てみるとセンサーのパンフレットが置いてありました。

ベッドのシーツ下に敷くセンサーマットで心拍や呼吸の生体反応を読み取り、併用する人感センサーで身体の動きを読み取ってベッドから起きるのを把握するタイプのものだそうです。

うーん。

いったい誰のための物なのだろうか。

 

 

いわゆる老人ホームというものは、とかくそこで働く人目線でハードやシステムが作られていることが多い。

作るのはそこに住む当事者ではなく働く側の人間であり、かつ、そこに住む多くの入所者は自分で声を上げるすべを持たないからだ。

働く人はせいぜい1日8時間、月に160時間しかそこに居ないのである。

しかし、24時間365日そこにいて、そこを生活の本拠として、住まいとしているのは一人ひとりの入所者なのである。

しかも、働いている人はその入所者の生活を支援するために「働いている人」なのである。

どちらに合わせたハードやシステムであるべきかは火を見るよりも明らかである。

 

何かあったら困るから、いつでも見守り様子が把握できるように隅々まで見渡せる死角の無い広いフロア。

転んだら困るから、プライベートな部屋にいる時も動作が把握できる高感度なセンサー設備。

 

困るのは誰で、安心するのは誰だろう?

誰のための安心なんだろう?

本当に困っているのは誰なんだろう?

 

わたし達は生きていく上で様々なリスクを取りながら生きている。

リスクを取らない、リスクの無い生活は生活と呼べるのか。

 

あえて大きなリスクを取れという事ではない。

それぞれの状況に応じて、選び、相応のリスクを取りながら生きていくのが「生活する」という事ではないのか。

 

「主体的に生きる」ということがどういうことなのか。

ずっと問い続けて、答えを探し続けていく。

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