その後のお話し

前回からしばらく空いてしましましたが、前回記事の翌日の話しです。

結局、朝の息子の熱は下がらず幼稚園はお休みしました。

しかし、発表の場は夕方だったので息子の体調とやる気と相談しながらそちらへの出欠は保留にしました。

いや、この時点で発表会も欠席にしても良かったんだけど、

指揮者という替えの効かない役どころだったので親の一存で上記のような判断にしました。

とりあえず、朝一番で病院へ連れて行き薬をもらい、家に帰ってきたらすぐに横になって休ませました。

しばらくすると、これまで「行く」とも「行かない」とも言わなかった息子が口を開きました。

「マーチング行きたくない」と。

これは私からすれば、昨日からの様子を見ていたので予想通りの言葉でした。

きっと息子は、ここ数日指揮者という役割の重大さ、そのプレッシャーに押し潰されそうな日々を送っていたのでしょう。

私と妻の意見は一致していました。

「熱があっても今回の発表の場へは行かせたい」

その裏には、今回発熱したことを幸運だと思い、そのプレッシャーから逃げたという経験を息子にさせたくないという思いがありました。

息子を励まし鼓舞するように言葉をかけ続けました。

それでも、最終的には息子が決めること。

彼が、「行かない」というのならば仕方ありません。

話を続けていくと息子の口から

「間違えるのが怖い」

「指揮者は一人だから」

という言葉が出てきました。

プレッシャーと戦っていることは分かっていたつもりでしたが、直接息子の口から切実な思いとして出てくると、こんな小さな子どもの心にこんなプレッシャーをかける必要があるのかという気持ちが頭をよぎると同時に目頭が厚くなりました。

しかし、ここまでの責任とプレッシャーを自分の事として感じている息子にだからこそ、親として何倍もの時間を生きてきた者として「ここは体の無理を通してもやり切れよ」と伝えました。

その後も色々なことを話しましたが、私が半ば強引に決断させた形で息子は発表会に出ると意思を固めました。

その時は、集合時間からすでに1時間を切っていました。

 

急いで、着替えて車に乗り込み会場へ。

駐車場に車を停めると「抱っこして欲しい」いう息子を抱いて会場へ歩き出しました。

少し歩くと、他の子供達もちょうど園バスで到着したところでした。

それを見ると息子は何も言わずに抱っこから降りて、手を繋ぐように促す私の手を払い一人で歩き出しました。

私は、その姿にいたく感動するとともに、彼が自分に課しているものの大きさを目の当たりにしました。(ちょっと大げさか笑)

私と別れて息子は他の子達と控え室へ。

私は、客席で息子の出番を待ちました。

 

息子を見送ってから30分ほど偉い人の挨拶や学生の作文の朗読などを聞いたりしていると、出番が回ってきました。

下の子の検診に出かけていた妻もギリギリで間に合いました。

ステージに並んでいた演台や机が手早く片付けられると、息子を先頭に子供達が入場し先生たちの指示で整列をはじめました。

息子は、ステージ中央の一番前大きな指揮棒を左手に抱えて直立不動で立っていました。

ざわつく会場の中で一際の緊張感が手を取るように伝わってきました。

子供達の整列が終わると、舞台袖の先生から息子に合図が送られました。

その合図を確認すると、大きな声で掛け声をかけました。

その声は、緊張と体調不良のためか途中で裏返ってしまいましたが、その声を合図に全体が動き始めて曲が始まりました。

ステップを踏み、一生懸命右腕を4拍子で振り続ける息子の姿に感動しました。

私は、この日のために神が、いや仏が私に買わせたのではないかと思わされたiphoneXで動画を撮りながらその姿を観ていました。

2曲披露し合計8分ほど。

その間、息子はほとんど右腕を振りっぱなしでした。

4拍子で。

そして、妻と私が観ていた限り一度も間違えることなく最後までできていました。

妻は、泣いていましたが私は流れそうになる涙をぐっと堪えて感動を噛み締めていました。

妻のママ友がたくさん近くにいて泣いたら恥ずかしかったから。

本当は泣きたかったけど、親父もそこは意地をとおした。

 

終わってすぐに会場を出て息子が出てくるのを待った。

出待ちだ。

 

他の子に先駆けて息子は一人で歩いて出てきた。

妻も一緒にいたのに息子は私のところに一直線に歩いてきた。

他の子供達がまだ来ていないことを確認して、私は息子を抱き上げてよくやったと頭をなでた。

「どうだった?」

と聞くと

「来なければよかった」

と彼は泣きながら答えた。

彼の体は熱くかなり熱が高くなっていることはすぐに分かった。

「凄かったぞ。全然間違えないじゃないか。カッコよかったぞ」

と声をかけても泣いているだけだった。

私はだまってスマホでamazonのアプリを起動し息子に画面を見せて

「好きなものなんでも買ってやる」

と気がついたら言っていた。

息子は、大好きなルパンレンジャーのおもちゃをポチった。

それでも機嫌はなおらなかった。

 

帰って検温すると39℃を超える熱があった。

「5歳の子どもにそこまでやらせるのか」という意見があるのは重々承知だ。

正直、良かれと思って無理を通して息子にやらせた今回。

今になって考えると、これが息子にとって先々、良い経験となるか悪い経験となるかは分からない。

 

振り返って考えてみると今回の決断に息子を誘導したのは、私自身の原体験によるものが大きいと気づく。

これについて書くと話も逸れるし長くなるので、またの機会に書くかもしれない。

 

前回の記事で「子は子の人生、親は親の人生しか生きられない」とは言ったものの、子供に何か自分の経験してきたものを伝えたいとは思う。

それは、自分が生きてきた証云々ではなく、彼・彼女が未来を生きていくための糧になりたいという気持ちからだ。

 

大いに挑戦して大いに失敗して欲しい。

ほとんどの失敗なんて自分達が思っているほど重大なものじゃない。

間違ったって別にかまわない。

恥なんてかけるだけかいた方がいい。

分かってないのに分かったふりをすることほど愚かなことはない。

死ぬこと以外かすり傷とはよく言ったものだ。

 

目まぐるしく加速し、加速度を上げ続けるこの世界を駆け抜けて追い越して欲しい。

 

親が思っているよりもずっと、もう彼や彼女にはその準備はできているみたいだから。

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