価値を作る
先日、お寺さんたちが集まる機会でこんなやり取りがありました。
私「ウチの隣のお寺は除夜の鐘の音がうるさいと苦情があったので去年から大晦日に鐘をつくのをやめたみたいです」
坊さんA「そういうのって、新しく来た人たちが言うんだよね」
坊さんB「うちも、鳴り物がうるさいって苦情が来たことがある。お寺があるって分かっていて、その上でそこに家を建てたんだからしょうがないのにね」
とまあまとめるとこんな感じで、AさんとBさんの最終的な結論は
「後から来たんだから、嫌なら出て行けばいいのにね」
というものでした。
私も、半ば呆れながらやり取りを静観していましたが、今後こういった方向に会話が進みそうな話題は自重しようと強く思いました。
というか、坊さんの集まりではあまり喋らないようにしようかな(苦笑)
このABさんの言い分の前提となるのが
「檀家や昔から地域にいる人たちは何も言わないのに」
ということだと思います。
では、なぜ「檀家や昔から地域にいる人たち」は何も言わないのでしょうか。
それは、そこにお寺があるということに何らかの「価値」を見出しているからではないでしょうか。
檀家としては「ご先祖さんのお墓があって供養してもらっている」とか
檀家以外の人にとっては「昔からある地域文化を象徴する場所」とか
そういった価値を見出しているから、鐘の音や鳴り物の音にも寛容にというか、むしろ心地よく聴いてくれているのではないのでしょうか。
一方で、新しく移り住んで来た方から苦情がくるということは、その方たちにお寺として価値を提供できていないからに他ならないでしょう。
「檀家が減って困る」
「お寺に若い人たちが来ない」
と普段ぼやいているにも関わらず、先のようなことを言うお坊さんが私の周りには多いです。
(地域性もあるのでしょうか?)
そんな話を耳にするたびに私は
「みなさん一体どうしたいんだい?」
と心の中でつぶやきます。(口に出すと色々面倒だから笑)
最近、ウチのお寺の周りにも農地が宅地分譲化されて、新しい方々も多く流入して来ています。
その人たちに、昔から地域にあるお寺が担える役割ってあるんじゃないかなと思っています。
それを考えて行動した方が、絶対に楽しいし圧倒的に未来志向ですよね。