葬送のかたち

土日の法事の間を縫って通夜葬儀を務めさせていただきました。

そして、やはり思うのは家族葬や直葬と呼ばれる形式がだんだんと市民権を得ていますが「地域の方々をはじめ生前縁のあった方に見送られるというのがいいよな」ということです。

社会や地域の状況、働き方や家族のあり方など様々あることは承知の上ですが、田舎の葬式に立ち会う度に改めて思います。

時々「簡単に済ませたいのですが〜」と、ご供養の相談にくる方がいるのですが、私は「簡単にはできませんよ」と答えています。言った側からすれば「あまり華美にしたくない」とかいう意味で言っているとは思うのですが、あえてそう答えています。

人が一人死ぬという事は大変な事で、それを「簡単に」済ませるということには、どうしても同意しかねます。種々の事情によってできないことがあるのは仕方がないと思いますが、その制限の中でも出来る限り手厚く弔う方法を施主さんと一緒に考えたいと思っています。

坊さんが何人とか、戒名がどうとかが悩みの種なのであれば、言ってもらえれば相談に乗る準備はいつでもしているつもりですが、こちらがそう思っていても世間からはそんな風には思われていないということなんでしょうね。これは、こちら側の問題でなんとかしなければならないと思っています。

地域の中で死者を弔う儀式が行われていることで生活の中に「死」に触れることができていたんだと思うのですが、弔いが限られた親族(コミュニティ)の中で行われることによって、人々の生活から「死」を実感する体験が遠ざかってしまっているのではないかと思います。

残された家族にとっても近親者の「死」という人生の一大事に伴う大きな悲しみを、他の多くの人たちと共有することは、少なからず癒しになるのだと思います。
また、葬儀の準備や執行、その後の四十九日などの法要を行うことも、残された家族の様子を親しい人たちが確認することも兼ねた形でうまく設計されている供養の段取りだと思います。

一口に伝統と言っても、時代に合わない悪いものばかりではなくて、「一見時代に合わないように見えているけれども実は時代を問わず大切にしなければいけないもの」があるんです。

この「一見時代に合わないように見えているけれども、実は時代を問わず大切にしなければいけないもの」が半ば呪いのようになってしまっている悪しき習慣と一緒くたにされて、大した検証もされずに捨てられてしまっている場合も多いのだと思います。

きっと、そういった事の揺り戻しが近い将来に来るのではないかと個人的には思っています。

 

私は、自分の死に様を縁ある方々にちゃんと見せてから逝きたいなと思っています。

私が死んだら、かたく冷たくなった体に触れに来てください。

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