ただ過ぎていく日々の全てに
先週、今週と職場である施設の入居者さんを2人見送った。
1人は、ここ数ヶ月看取りと意識してケアしてきた方で、もう1人は突然の別れだった。
僕はタイミングが合って2人の湯灌を担当した。
もう1人の同僚と2人で体を持ち上げてストレッチャーに乗せる。
まだ、身体に残された温もりを感じながらも、弛緩したその身体からは意思の力は全く感じられない。
シャワーをかけて丁寧に足元から洗う。
足の指は硬くなって間を洗うのが難しが丁寧に洗った。
返事のない身体に声をかけながら洗いすすめる。
それぞれ、朝日と夕日に照らされて、それもあってか表情も穏やかに優しく見えて、少しだけ救われた思いになる。
僕らがこんな時間を過ごした事をこの世界のほとんどの人たちは知らない。
家に帰ると子どもたちと風呂に入るのが日課で僕の役目。
今日も、生後7カ月の次男の身体を洗った。
柔らかな身体の小さな足の指の間を丁寧に洗う。
その柔らかな身体と体温とクネらせる動きから、何かしらの意思の力を感じる。
僕はこれらに意味をつけて自分の物語にしたいんだけど、どうも上手くできないでいる。