土台をつくる
昨日の円覚寺の布薩を受けて、メモを取ったノートを見返している。
「戒」を守らなければならない厳しい決まりとしてしまい、棚上げにしてしまっている自分自身。
そうした戒との付き合い方をしていくことで、自分自身の弱さや脆さをつぶさに見つめることをしなくなっていることに気がつく。
そして、その反動で自我が強くなってしまっているのでは無いかと思い至る。
昨日の体験を経て、自坊での朝のお勤めをいつもよりも気持ちよく清々しい心持ちで行うことができた。
気分的には違う寺にいるかのような。
何事も自分次第、自己の中にあるということなんだろう。
戒とは良き習慣づくり。
良き習慣は、心の安穏と正しい判断をもたらす土台となる。
思えば、先師に教わってきたことや伝統的な儀礼の中には「習慣」というキーワードが通底していたように思い当たる。
「よき習慣づくり」のためのエッセンスは仏教の教えや儀礼の中に散りばめられていたことに改めて気づかされました。
日蓮宗でも行う懺悔の儀式、”法華懺法”についても勉強してみたくなりました。
資料欲しいです。持っている方ください。
昨年の2月に続いてご著書まで戴いてしまった。
それにしても、昨日は贅沢な時間を過ごすことができたなと何度も思い返している。