生産性教と効率教
20歳くらいの子たちの話を聞いていると「無駄なことしたくない」の恐怖が相当大きいようです。無駄に対しての耐性をつけないと、どんな才能も頭の良さもアイデアの素晴らしさも意味を持ちません。それを社会のなかで活かすための「行動」が生まれないからね。「無駄上等!」と振り切るのめちゃ大事。
— 小倉ヒラク | Hiraku Ogura (@o_hiraku) 2019年7月5日
こんなツイートを見かけて
なにかしら常に「生産的風な事をしていなきゃ」みたいな思いは自分にもあるなと…。
生産的風以外なことをしてる時、妙な罪悪感みたいものが心の片隅にこびり付いているような。
分かっちゃいるけどやめられない。
RT— 横山瑞法@Temple Morningはじめませんか? (@zuiho_yokoyama) 2019年7月5日
こんなことを呟きました。
仕事を辞めてひと月経って、ほとんど強迫的に「生産性がありそうな事を効率よくやらなければ」という思いに駆られている自分に気がつきました。
思えば辞める前からそうだったかもしれません。
ゆっくり休もうかなと思っても、どこか心がザワついてちゃんと休めない。
振り返ってみるととっても中途半端なひと月を過ごしたなと。
これからしばらくのテーマは
「メリハリをつける」
「目の前にある無駄そうな事を本気でやってみる」
で行こうと思います。
なんか面白そうな無駄な事あったら教えてください。